南極探検直後に出版されたこの本は、かつて国立極地研究所で拝見しましたが、最近実物を一冊入手しました(^○^)!!
ジックリ詳しく読んでいくと、いろいろなヒントが隠れていて、実に貴重な史料です。…が、その詳細につきましてはいずれ改めて分析する予定です(^○^)!!
今回は…、239〜243ページにかけて語られている「八、片吟狩」の節に出てくる表現を、いくつかご紹介しましょう(^○^)!!
まずは、その冒頭から…
「今度の南極探検の為に最も世に識しられたのは片吟鳥であらう。片吟鳥は頓に男振をあげた譯である。」
「浅草の南極館で嘸諸氏は目睹せられたのであらう。」
19世紀末から20世紀はじめ、今から100年前に展開された「極地探検レース」によって、いかにペンギンが世界的に知られるようになったか?特に、白瀬にとって天皇家への剥製献上や浅草の「南極館」での特別展が重要な意味をもっていたかがよくわかる表現が続きます。
この節の最後には、こんな表現が…
「片吟の事はこの位にしやう。あまり子供らしいから。」
白瀬にとって、ペンギンの話題は「子どもっぽい」あるいは、真剣に語るにあたり価しない話題だ…、そう認識されていた可能性があります。この点については、いずれジックリ考えてみたい、興味深いテーマだと考えております(^○^)!!
白瀬矗←コピー&ペーストしてお使いください^^
こういうときは、googleでひらがなで検索すると、すぐに漢字表記も見つけられます。