人鳥堂本舗様、いつも貴重な情報や資料を頂戴し、大変お世話になり、感謝申し上げますm(__)m!!今回は、先月中旬に人鳥堂本舗様から頂戴した、「日本ペンギン史」を語る上での重要な文献=『南極土産・第一編・片吟鳥の話』(多田恵一著、春陽堂、大正元年8月19日発行)と『南極みやげ・第二編・南極圏内の鳥類』(多田恵一著、春陽堂、大正元年9月20日発行)とをご紹介致します(^○^)!!
3月初旬、人鳥堂様から「この2冊の原本を持っていますか?」とのお問い合わせをいただき、私が「原本を読んだことはあるが所有はしておりません」とお答えしますと、ご親切に「原本のカラーコピー」を送って下さったのです_(._.)_!!
さて、多田恵一は『片吟鳥の話』の冒頭で、この著書の出版経緯を次のように語っています。
「昨年(明治四十四年)の夏かた、私と野村船長とが、再挙準備のため帰朝した節持ち帰りました、片吟鳥は、畏くも、時の天皇陛下に、後援会長大隈伯爵の手を経て献上致しました。(後略)」
さらに、白瀬南極探検隊全員が帰国した時には、大正天皇(当時は皇太子)にペンギンの剥製(おそらくエンペラーペンギンとアデリーペンギン)を献上した事実にふれ、こう続けます。
「私はここに、この光栄ある片吟鳥のお話しを、南極土産の第一編として、皆様のお目にかけようと思ひます。」
実は、人鳥堂本舗様は、この献上されたペンギンの剥製について、現在詳しく調査中なのです。その結果につきましては、いずれまた教えていただければ幸いですm(__)m!!
さて、この2冊の文献は、当時の日本人が、南極やその地の生物についてどのような知識を持っていたか?あるいは、ペンギンという生き物がどのように理解され認識されていたか?…などを知る上で極めて重要なヒントと実例とを与えてくれます。
同時に、この本は、なぜ多田恵一が「最初の南極土産話」としてペンギンをテーマとして選んだのか…という疑問に重要な手がかりを与えてくれる文献でもあります。先程の引用にもある通り、多田は「明治天皇と大正天皇へのペンギン剥製献上」という事実をこの本の冒頭に掲げています。ペンギンの剥製が両天皇や皇族に大変よい印象をもって受け入れられたこと、それが「南極探検隊」に対する社会的評価を高める効果をあげたこと…、そういった「ペンギン効果」を多田は敏感に感じとっていたに違いありません。
したがって、この文献が「ペンギンの生態をわかりやすく科学的に紹介した最初の邦語文献」とはならず、単なる読み物として「土産話」レベルに終始した理由も、だいたい想像できるのです。多田のねらいは、自らが参加した南極探検の社会的評価をより高め、天皇家の権威をかりて自らを顕彰しようというところにあったのではないでしょうか?多田が、南極探検後、後半生で示した行動を考慮すると、その可能性は高いと考えております。
というわけですから、この文献の中で多田が示す「ペンギンへの感情移入」と「可愛い」という表現の連発には、ちょっと注意が必要だと思います。
これ以外の、当時の社会的状況とその後の「日本人のペンギン観、南極観の変遷」につきましては、いずれ稿を改めてまとめていきたいと考えております。