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ベイシック・クラシクス第2回 『PENGUINS』Roger Tory Peterson, 1979

2009 年 11 月 18 日 水曜日

bookreview002-1ピーターソンと言えば、ペンギンに限らず、とにかく「有名人」である。欧米の鳥学、自然史、保全生物学に関する著名な賞を総なめにしている。

例えば、WWFのゴールドメダル、世界探検家協会賞、スウェーデン王立科学アカデミー賞等々。画家としても有名。アメリカの9つの大学から「名誉博士号」を授与されている。

また、優れたフィールドガイドの著者としても著名だ。南極やその周辺の島々を12回以上訪れ、優れたスケッチと数々の貴重な写真を遺した。

この本は、まさにピーターソンの活動のエッセンスだと言える。

他の著者のように、ペンギンに関する何らかの専門的科学論文を残したわけではない。しかし、彼の鳥類学全般にわたる豊富な経験と知識、そしてこれが最も大事なことだが、フィールド経験に裏打ちされた活きた知識が、この本を「ペンギン本の基本文献」の1つとした。

彼の「ペンギン画」は素晴らしい。この大版のハードカバーの表紙見返しと裏表紙見返しには、17種のペンギン達が、フルカラーで生き生きと描かれている。ちなみに、彼は、ハネジロペンギンを独立種とはしていない。

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このペンギン画は、国際的に高く評価され、様々な国々の博物館や動物園・水族館等で、世界のペンギンを紹介する際に使われてきた。また、本文の挿絵として、いたるところに、モノクロの動物画(もちろん、その多くはペンギン)がちりばめられている。解説を信じれば、その総数は137点にものぼる。

序言は、野生のペンギンとの衝撃的な出会いで始まる。「私が初めて野生のペンギンと出会ったのは、1960年12月。パタゴニアの外れ近くの海岸だった。頭から尾羽まで茶色の燃料用重油がベットリこびりつき、生き延びる術もなく、そのペンギンは波が打ち寄せる岩場にただ1羽、佇んでいた。」マゼランペンギンだった。

ピーターソンは、先行文献を序言の中で次のように紹介している。
「私が至らない部分については、数々の専門的論文を発表されている研究者、特にバーナード・ストーンハウス博士の近著『The Biology of Penguins』を参考にしていただきたい。また、それ以外にも、ジョージ・ゲイロード・シンプソンの近著『Penguins, Past and Present, Here and There』があり、この本は特にペンギンの進化と人間との関係史を深く掘り下げている。さらに、トニー・ソーパーとジョン・スパークスの『Penguins』は、広く全般的な情報を提供してくれるだろう。」

では、ピーターソン自身は何を目指したのか?
「この本で私が描こうとしたことは、単純明快だ。つまり、ペンギンの映像を提供するということだ。1つの映像エッセイ。そうご理解いただいても良い。ペンギンについて新たに判明した科学的事実について、何らかの学問的説明を試みようというのでは決してない。」

彼のこの姿勢は、全体に貫かれている。例えば、これからペンギン写真を撮ろうと考える人々ヘのアドバイスがある。

ただ1点、私にとっては、どうしても残念なことがある。「17種全ての生息地を訪れた」ということになっているが、フンボルトペンギンの写真だけは、どうしても野生のものには見えないことだ。フンボルトの写真は、確かに1枚だけある(41ページ)。しかし、これは間違いなく飼育下の写真だ。ペンギンが泳いでいる水が緑色だし、この個体の左足裏には、かなり大きな趾瘤症が見られるからだ。野生のフンボルトペンギンには、このような大きな趾瘤症は、まず見られない。
実は、ピーターソンの時代、フンボルトペンギンの野生地、生息環境に関する具体的で詳細な映像は、他の専門的文献や写真集にも、まだ全く紹介されていなかった。だから、世界中の動物園や水族館では、フンボルトペンギンを「氷山プール」で飼育・展示せざるを得なかったのだ。この点に関しては、ストーンハウスもシンプソンもスパークスとソーパーも、そして「映像エッセイ」を標望したピーターソンでさえ、超えられない高い壁があったといえる。

後日談だが、その壁を大胆に乗り越えた最初のチャレンジャー達の多くが、日本人カメラマンだったことは、特筆すべき事実だろう。この事については、やがて触れなければならない。

しかし、ピーターソンが「ペンギン本」の1つのスタイルを築いたことは間違いない。そして、画力と知力と文章力と写真表現力とを、全てバランス良く合わせ持つ著者は、残念ながら、まだ現れていない。

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