9月11日という日に際し、改めて、今回の震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。また、今も、深い悲しみと苦しみの底で日々を過ごされている被災者の皆様全てに、心からお見舞いを申し上げます。
わかっていたこととはいえ、改めて己のいたらなさ、非力を痛感する半年でした。甚大な破壊と被害をもたらした天災と人災とに直面して、自分がどの方向に足を踏み出すべきか?まず、何をすべきなのか?未だに、戸惑いと後悔の念に苛まれる毎日です。
思えば、あの3月11日以前は、己の足下をしっかり見ていなかったな、と痛感しています。確かに、「地球温暖化」や「野生動物の危機的状況」については、ほんの少し実際の体験の中で、自分の体で理解していた部分はあったかと思います。また、たしか3年前の「ペンギン教室」では、「これからは異常気象という表現は不適当になるだろう。温暖化の進行で『気象の激症化』がますます顕著になるだろうから、急激な気象変動が常態化するに違いない。」そんなことをお話しした記憶があります。
しかし、そんな私も、結局は、今のような「複数の天災・人災が同時かつ連続的にふりかかる事態」を予想してはいませんでした。というより、完全に虚を衝かれた、感じです。悲しいかな、完璧に油断していた、あるいは無知だったのです。
最近、いろいろな挨拶の冒頭につかわれる「息災」という言葉が、頭の中でグルグル回っています。この言葉は、辞書によれば「仏教用語」だそうです。「仏力で災害を消滅させること」と「広辞苑」にはあります。『枕草子』に用例があるそうですから、千年以上昔からつかわれていたんですね。
実は、私は、古今東西の古典に登場する「厭世感」や「無常感」とは無縁の人間だと思っていました。言い方を変えると、「私の世代は日本の良き時代に生まれ、大きな不幸や社会的動乱や混乱を知らずに生涯を終ることができる」、そういう不埒なことを考えていました。
しかし、たしかに戦争は経験していませんが、阪神淡路大震災と今回の震災では、私の身内や親しい方々が数多く被災され、命を落とされるという事態を経験しました。しかも、原発の脅威は、関東に住む人間にとっても、毎日の深刻な関心事です。
一方で、仲間として、身内として、そして同胞として、何ができるのか?どうやって、このながいながい闘いを息切れせず、共倒れせずにのりきっていくか、そういうことへの戸惑いや、力なき己への焦りや憤りが、心の中に渦巻くのです。
そして、改めて、あの日以来の関連ブログを読み返して感じたことが2つあります。
1つは、結局、最初に直感していたことが間違ってはいないのだろう、ということ。つまり、「己のなすべきことをなす」ということです。私にできるのは、学校で未来への不安と闘っている生徒に連れ添い、一緒に悩むこと。ペンギン会議のメンバーやその活動をご理解下さる方々、ペンギンを愛する全ての方々との活動を進めること。マリンピアクラブの仲間と共にマリンピア松島水族館を支援していくこと。園館の皆様のご要望を、力の限りかなえ、実現のための支援を惜しまないこと。そしてもちろん、自分自身の家族を守っていくこと。
これしかないのです。
言いたいことは、たくさんあります。しかし、2つ目のポイントは、ちょっと大風呂敷に聞こえるかもしれません。つまり、小さな日常的なことに集中すると同時に、みんなで意識してとりかからねばならないことがあるとも思うのです。特に、未来にむかって、この際徹底的に「日本の脆弱な点」を洗いだし、全ての天災・人災対して心と体と物質面でのバックアップ体勢を再構築する必要があると痛感しています。
もちろん、地球温暖化は待っていてはくれません。野生動物への対応も疎かにできません。やらねばならないことが、山のように待ち構えているのだと思います。
そういう「大目標」に、「己のなすべきこと」を通じて、どうやって近づいていけるのか?それが、どうやら「残りの人生の課題」になりそうです。
東北の皆様、被災地の皆様、どうかどうか忘れずにいて下さい!!私たちが、決して皆さんのことを思わない日はない、ということを。そして、日々、如何にして東北の皆様と共に生きていこうと考えているか、ということを。微力な本当に微力な私ですが、必ず突破口を見つけていく覚悟です!!今後とも、よろしくよろしくお願い申し上げます!!