今年は、私にとって縁の深い2つの水族館が、同時に開館10周年を迎えられました(^○^)!!1つはすでにお伝えした「長崎ペンギン水族館」です。旧長崎水族館時代からお世話になって参りましたが、特に、その存続を訴える「署名活動(ペンギン会議主催)」以来、新水族館(現在のペンギン水族館)の基本構想委員会以後は、監修者として関わらせていただきました。
一方、海響館の思い出も尽きません(^○^)!!新ペンギン展示施設の基本構想委員会に始まり、「ペンギン村」完成までの経緯は、私の脳裏に具体的情景を伴って焼きついています。石橋館長や下関市の方々とチリのペンギン生息地やメトロポリタン動物園を訪問したこと。深いペンギン水槽や土をペンギン飼育に導入すること、巣穴の形状、ペンギンを元気に泳がせる工夫、ペンギン学校の様々な教材作製や運用をめぐる工夫…等々。
最終的には、下関市とチリ政府との間にフンボルトペンギン保全に関する国際協定が締結され、ペンギン会議がその仲介を務めました。これは、フンボルトペンギン保全に関する世界初の園館間の国際協定としても歴史的に大きな意義を持つと考えております。
それにともない、昨年春の「ペンギン村」オープン式典には、チリから国立メトロポリタン動物園のマウリシオ園長とギジェルモ保全部長とをお招きしました。その式典前日に起きた「チリ地震」への対応も、一生忘れられない記憶です。詳しくは、このブログにも記しましたので、ドキュメントとしてご覧下さい。
歴史をひもとけば、海響館は、前身の「下関水族館」時代からペンギンとは深い深い関係があります。大洋漁業を中心とする「捕鯨基地」に隣接し、南極からもたらされたエンペラー、アデリー、亜南極からのジェンツーなど、多くのペンギンたちが、下関を通じて日本各地の園館に送られていきました。この点は、長崎ペンギン水族館との共通した特徴です。スコットランドのエディンバラ動物園がキングやジェンツーのコレクションを充実させていったのも、その端緒は、近くに捕鯨船基地があったことですから、これは19世紀末から20世紀半ばにかけて、世界のペンギン展示施設が普通に通過した歴史的経緯だったと言えるでしょう。
現在、海響館は、ペンギン展示に関する新しい歴史を歩みつつあります。昨年度の「エンリッチメント大賞」を受賞したことは、このブログでもご紹介致しましたが、それだけにとどまりません。今後は、マカロニペンギン繁殖の基地になるとともに、フンボルトペンギン保全への貢献が具体化されていくでしょう。ペンギン会議としても、上田個人としても、その新しく意義深い活動を全面的に支援して参りたいと考えております。
石橋敏章館長、また、海響館スタッフの皆様、開館10周年、本当におめでとうございます!!これからの益々のご発展ご活躍を、心からお祈り申し上げます!!