野鳥の会のフリーマガジンらしく、「サギたちの受難」と題して、今年1月に福島県、宮城県の計3ヵ所のサギ類のコロニーで行った「放射性物質の影響を調べるモニタリング調査」の結果を特集しています。
放射性物質の生物濃縮については、同誌vol.20でも紹介され、このブログでも簡単にご紹介致しました。今後、おそらくは100年間以上にわたることが予想される「放射性物質汚染との長い長い闘い」の中でも、「生物濃縮」は深刻な問題の1つだと思います。今後とも、この問題を追い続けたいと思います。
さて、今回は、これに加えて、このフリーマガジンの編集長=安藤康弘さんの言葉をご紹介したいと思います。
藤原新也さんの「福島県飯館村はやま湖」の写真を背景に、安藤さんは、以下のような言葉を記しています。
「プラトンは、良き国家を身体に擬え(なぞらえ)、指の痛みは身体全体で感じるように、国民の苦楽の共有は、国家の最大の善であると説いた。また国民を守る守護者は、その魂に財を有すから、権力と富とが相容れるべきではないとした。我が国の守護者は苦楽を共有し、天に財を積んでいるだろうか。」
プラトンの生きた時代の国家は現代の国家とはかなり異なり、国民の概念も人権の概念も異なるから、この言葉を額面通り解釈してはいけない。そういうことは簡単です。しかし、安藤さんが仰りたいのは、そういう歴史主義的なことではなく、いつの時代にも、およそ「国家」というものがある限り、そこに共通して見られる、為政者と国民との関係なのだと思います。
為政者と国民は、元来別個のものなのか?為政者は国民を支配するために異世界から来たのか?為政者と国民とは「苦楽を共有」できないのか?
あの3月11日から、間もなく13ヵ月が経とうとしています。しかし、まだ遅くはない!!…と思います。もう一度、被災地や被災者の方々の心情や苦しみ、幸せとは何か?なにをなすべきなのか?考え直し、迅速かつ的確な支援を実現できる体勢を具体策を工夫していくべきではないでしょうか?