間もなくおとずれる5月11日を前に盛岡で出会った宮沢賢治の詩について感じたこと(^○^)!!

2012 年 5 月 6 日 日曜日

去年の5月の自分の気持ちはどんなだっただろうか?今より、もっと疲れてはいたが、いろいろな出来事にうちひしがれてはいたが、それでも人の痛みや苦しみに真摯に向かい合おうとしていたと思う。

1年という歳月は、痛みを和らげるのに役立ったのだろうか?苦しみや悲しみは本当に癒されているのだろうか?時は最上の薬なのだろうか?

東北の桜が観たくて、盛岡を訪れた。城跡近くの「啄木・賢治資料館」で、賢治の未知の詩に出会った。自らの不勉強を恥じるとともに、今、この詩に出会えたある種の幸運を思った。

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「生徒諸君に寄せる」という、ちょっと長い詩だ。しばらく、その場で立ちすくんでいた。突然、涙も流れた。

ああ…この人も教師だった。教室で鳥のようにうたう…という感覚は、なんだかわかるような気もする。私は、学校で疲れを感じたことがあるが、あれは何年前だったか?しかし、教師であることを疲れたと感じたことはない。

賢治の時代には、思えば、もっともっと荒々しいむき出しの暴力の嵐が吹いていた。自然災害も人為的な力ずくの弾圧も、金銭的な経済的な物質的なあらわな差別も。もっともっともっと人々の体と心と日々のくらしを苛んでいた。今は、本と写真と伝承の中にしか存在しないが、理不尽の極みとしか言えないような事実が、厳然と立ちはだかっていた。

しかし、賢治は生徒に、若者に、こんなふうに語りかけた。詩に表現することができた。すごい…と思う。今の私には、書くことはおろか、おのれを叱咤することすら、そういう気力すら萎えているように感じる。

私という年老いた教師は、若者に未来をみたい。若者と未来とは、60になりなんとするおやじにとっては同義語だ。しかし、うちひしがれた老いし教師は、なにを語るべきか、かれらにどんな言葉をおくるべきか、とまどう。

賢治はとまどったのだろうか?この詩を、一息に書きあげたのだろうか?この詩を、声にあげてうたったのだろうか?

「むしろ諸君よ更にあらたな正しい時代をつくれ」

こういう賢治は無責任なのではない。自分を超えて生きていく、自分が見ることのない時代を、期待をこめておもい描こうとしているのだと思う。

教師は孤独な応援団だ。教師は生徒と人生を替わることはできない。同じ時代を一定の期間共に生きることはできるかもしれないが、最後まで一緒に歩むことはできない。生徒は、すぐに教師を離れ、ひとりで生きていかねばならない。

「更にあらたな正しい時代をつくれ」

そう思い、語り続けることが、教師としての私の仕事だと思う。私は、「雨にもまけず…」より、この詩に共感する。

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