2010年7月12日(月)、イギリス(ケンブリッジ)の病院で、増井光子さんがお亡くなりになりました。
死因は不明です。
増井さんは、現在は、横浜市ズーラシアの園長でいらっしゃいますが、皆様ご存じの通り、かつて上野動物園の園長をお勤めになりました。その時から、ペンギン会議は、増井さんに大変お世話になって参りました。
会議の活動に深い理解を示され、1997年には、ペンギン会議が主催した「ニュージーランド・ペンギンエコツアー」にも参加されました。訪れた各地で、熱心に野生動物を観察され、ペンギンの保全活動にもお力添えいただきました。
日頃から、ウマとイヌをこよなく愛していらっしゃった増井さんの突然の訃報に接し、温かいお人柄が偲ばれてなりません。
増井光子さん、本当にお世話になりました。ご指導いただいた「生きものへの情熱」を、若い世代に引き継いで参れますよう、どうかお導き下さい。
御霊の安らかならんことを、心よりお祈り申し上げます。
2010年7月15日
ペンギン会議 上田一生
突然の御訃報にただただ驚いております。
シンポジウムなどでは、いつも「ズーラシアの増井です」と凛と名乗られるお姿に接していました。
数年前に、東京動物園協会の図書室で調べものに没頭なさっているのをお見かけしたこともあります。
「ライオンの母親は子どものお尻をなめて排泄を促す。人工保育では人が脱脂綿で刺激して代わりを務める」、そんな知識を得たのは、小学校の時の国語の教科書でした。
「生涯現役」を貫かれた業績と御努力に学んでまいりたいと存じます。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
ゆみん 様
「凛としたお人柄」、私も同感です!!ただ,今はまだ、私自身、大きなショックから立ち直れません。大きな喪失感に、うちひしがれております。
私が増井光子さんが亡くなられたのを知ったのは、「文芸春秋」9月号の蓋棺録のページを読んでからです。
死因が落馬と書かれていましたので一瞬、マサカ?!と思いました。
私は中学生の頃(40年以上前)、大人になったら動物園の飼育係りになりたいと言ったら、母が吹きだして笑いました。
私の若い頃は、日本では今のように動物園や水族館で若い女性が飼育係りや調教師として働くなんて考えられませんでした。
女性の動物学者も存在しなかったと思います。
増井先生は、日本の女性が動物分野に進出して行く先駆けとなった方です。
先生は未だやりたい事、やらねばならぬ事が沢山おありだったとは思いますが、動物のために捧げた一生は絶対に悔いはないと思われます。
最後まで動物と関わってご自分の人生の幕を閉じるなんて増井様に相応しい臨終の姿です。
先生は生前「七度生まれ変わっても、同じ仕事をしたい」と仰っています。動物のために全力を使われた体、精神を暫く休ませて、きっとまた動物と縁のある場所へ生まれて来られるでしょう。
ベルク 様
貴重なお話、温かいお気持ちのこもったコメントを、本当にありがとうございました。先日、8月30日、都内で行われた「感謝の集い」に参りました。ひょっとしたら、ベルク様もおいででしたか?会場には数百人の「増井光子先生」を慕う方々がお集まりでした。私はその後、数十人の動物園関係者と共に、飲みながら増井先生のことを語り合いました。「ああ、増井さんとも、こうして何回も宴会をしたなあ…」そんな思い出に浸りながら、動物談義に耽りました。ひょっとしたら、そこにも、増井先生が来ていらしたかもしれませんね。話は変わりますが、どなたか「増井光子先生に贈る『文集』」を編まれませんか?私は、増井先生のもっといろいろな横顔を知りたいのです。いかがでしょうか?