テレビニュースを見ながら、ボロボロ泣いたのは、あの3月11日以来のことだ。インタビューに応える山中教授の落ち着いた穏やかな声と言葉を聴いていて、急に涙が止まらなくなった。
自分でも驚いた。山中教授の人柄全体が、私のひび割れた気持ちに速効性の鎮痛剤を注入して下さったのかもしれない。あの震災以来、自覚症状のないまま苦しんでいた心が、これを待っていたのは間違いない。
「科学と科学者への信頼と尊敬」がこんなに揺らいだ時期は初めてだろう。過去に何回か書いたが、私は「鉄腕アトム」の子どもだ。手塚治虫さんが描く「科学の力と可能性」を信じている。今でも、胸の中では「鉄腕アトムのテーマ」が鳴っている。
だから、3月11日以来のカタストロフィーは、深い深い傷となって、未だにジクジクと出血が止まらない。
…しかし、昨日から、また、「よし!やろう!!」という「ささやかな勇気の芽」が、傷口をふさぎ始めたと感じている。
山中教授は、ノーベル医学生理学賞を受けた。しかし、それ以上に、多くの人々に、重い病に苦しむ人々、厳しい研究生活をおくる人々、挫折にうちひしがれる人々、震災の痛手を背負い続ける人々…、そして科学の力と可能性に疑念を抱いた「科学少年・科学少女」たちに、新しい希望と励ましを、自らの生き方そのもので示して下さったのだ。
「かっこいい」とはどういうことか?最近の我々は、完全に忘れかけていた。第二次世界大戦の痛切な反省から始めた日本人の矜持はなんだったのか?平和を堅持し、激情や理不尽な振る舞いに動じず、理性と知性と正確無比な技術とを研き、いたずらに衆を頼まずしかも孤高に逃げず、堂々とおのれの道を貫き、助けを求める人々に手をさしのべ、多数の福祉に貢献する。これが、日本の生きる道ではなかったか?
あらためて、山中伸弥教授の快挙に心からお祝いを申し上げるとともに、これが、科学への信頼を回復する最初の一歩になることを、強く願っております。
論理的思考の重要性に尽きると思います。
「感情」と「魔法の物語」が興味の大半を占める子供たちの不幸を愁いている大人(もう年寄りに近いか)としては、科学的・論理的思考の楽しさを教える教育の必要性を痛感しています。
宇宙開発とともに育った子どもとしては、科学の力と限界をいやというほど目にしてきています。(同じく実写版アトムから見ていた世代です。)
大学での研究費の現実もiPS細胞の意味も分かる立場としては、一般の人より少し複雑な思いでコメントを聞いていました。
利益を放棄した研究のための特許ぐらい、せめて国内での登録は、特例で無料にしてほしいものです。
核分裂から相対性理論・量子力学まで中学生の時に独学していた科学好きにとっては、福島の現実は、不幸にもやっと本当のことを理解してもらえる機会にも思えました。感情とそれに対する嘘で固めた対策の結果があの現実です。(良いとも悪いとも言いません、本当の科学を自分で勉強して自分の結論を出して下さい。)
上田先生、少し言い過ぎたコメントですがお許しください。