3月11日前後の様々なできごと、そして昨日からの地震多発をめぐって考えたこと

2012 年 3 月 16 日 金曜日

昨夜の連続地震で、ある記憶が、突然生々しくよみがえりました。去年、あの3月11日から1ヶ月ほどたった時に、「忘れるなよ!!」と言わんばかりに、大きな余震が連発しました。私は、このブログで、「忘れたりはできない」…旨の感想を記したと思います。しかし、わざわざ、そのあたりの日付の記事を探ってみよう、という気には、全くなりません。

なぜなのでしょうか?

また、私のブログを読んで下さった方々から、様々なご感想をいただいております。例えば、kochan-mama様から…「(上田が)震災の直後に何回も関東から離れることになるかもしれないシミュレーションをしていた」ことについて、「他所に行ける人はよい」との感想を持たれた、とコメントをいただきました。今、福島で厳しい生活を強いられていらっしゃる方々には、選択の余地などないわけですよね!!そのお気持ちを考えない書き方を致しましたこと、ここで深くお詫び申し上げます!!

ただ、一言あの記事には書かなかったことを付け加えますと…、当時の私は、というより、多くの生徒の安全や将来を預かる教員という立場の私としては、次にどのような行動をとることが正しいのか?…について、真剣に様々な可能性を考えることも必要でした。いろいろな決断や行動が、即座に求められていた。そういう場面でのシミュレーションであったことを、ご勘案いただければ幸いです。

さて、今年の話です。あの、3月11日前後の「一周年報道」の状況は、果たしてどんな「効果」を生んだのでしょうか?様々な情報の送り手が、各々真剣であり、真摯にあの日を振り返り、その後や将来について、思いを巡らしていたことを否定するつもりは全くありません。また、中には、芯から力づけられ勇気や希望がわき上がってくる番組もあったのでしょう。

しかし、私は、様々な番組の画面を正視している気力も体力もありませんでした。情けない話です。ただわけもなく泣いてしまうので、きっと専門家はなんらかの心のキズを受けている…と論評するのでしょう。自分でも、このトラウマは、かなり深刻だと、わかっているつもりです。

「あの災害の記憶を風化させないため」…と言われますが、私の場合、今回のトラウマは、たった1年で簡単に風化してしまうような生易しいものではないのです。皆様はいかがでしょうか?

日々にできることにひたすら集中して過ごす。それが、被災地に生きる方々となんらかの繋がりになっていれば、心の底からうれしい。大々的な報道ではなく、小さな小さな連絡とメールや電話のやりとりの1つ1つで、私は、どうやら自分の心の平衡を保っているのだと、思います。

あの、一年前の大混乱の中、このブログを通じて結びつき信頼を結んだ方々が、このあともお元気で、充実した日々を過ごしていらっしゃればいい。少なくとも、去年の3月11日以来、「私の中の大震災」は、実際にはそのくらいの規模で実感されているのです。

とても大それたことはできません。身近な若者たちを励まし、自分も励まされ、東日本の知り合いとつきあいを続け、このブログでお近づきになった心温かな方々と会話を続けたい。それを続けるだけで、今の私はいっぱいいっぱいです。

決して、必要以上に凹んだりネガティブになったりしているわけではありません。「頑張ろう!」と決意しています。

ただ、去年の震災直後にも、何回も記したと思いますが、この闘いは長期戦です。しかも、私にとっては、かなり痛みをともなう神経戦でもある。個人的には、そういう様相も明らかになってきました。

こういう、内外の一般的状況の変化を、どのように受けとめ、自分なりに咀嚼・消化し、昇華させていくか?はたして本当に昇華できるのか?

この大震災との闘いは、長い長い己との闘いでもあるのだな。昨夜の揺さぶりを受けながら、そんな風に考えております。

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