2011年3月11日を改めて少し真面目に、リアルにふりかえる〜その1〜

2011 年 5 月 11 日 水曜日

震災から2ヶ月が経ちました。昨日の夜も、そして今朝=早朝にも、「忘れんなよ!」とでも言いた気に、いやああな余震があった関東です。

そんなに揺らしてくれなくとも、あの日を実地に経験した人間は、決して忘れませんよ!11日という数字になんらかの不可思議な思い入れをする向きもあるようですが、9.11はあくまでも「テロによる人災(大犯罪)」、3.11は「天災(ただし一部人災)」ですから、無関係です!
しかし、何人もの評論家やジャーナリストが指摘する通り、その後の人々や世界に大きな傷痕を残し、課題を残したという点では、忘れ難い、また、決して忘れてはならない大災害・大事件に違いありません。この出来事で「人生を大きく変えざるを得ない人々が数えきれないほど出現した」ということを否定できる者はいないのですから…。

今は、依然として「復旧」の段階です。しかし、最大の被害を受けた被災地や、今この瞬間にも原発にあらゆる人権を奪われ制約されている方々にとって、「真の復旧」とは、いったい何なんでしょうか?私には、まだよく理解できません。
間違いなく言えることは、この2ヶ月間に、大きな救いの手がもっと迅速果敢に差し伸べられていたならば、救えた命や生活や財産が、もっともっとあっただろう、ということ。

これで、この2ヶ月間に、同じことを3回も繰り返して書くことになりますが、どうかお許し下さい!

静岡県の原発停止について、「次の東海沖大震災による原発事故に備えて英断を下した」等と、手放しで誉め称える向きもありますが、この2ヶ月間、いやこの瞬間にも過酷な避難所生活に苦しみ、あるいは命を失いかけている方々、肉親の遺体とも対面できず深い深い心の傷に苦しめられていらっしゃる方々が大勢いらっしゃる。そういう現実は、果たしてどれくらい認識されているんでしょうか?

目の前に、理不尽な災害が原因で、血を流しもがき苦しんでいる人々がたくさん見えているというのに、「予防的措置を英断をもって下した」と悦に入っている人間。誤解しないでいただきたいのですが、私は、予防的措置を否定するつもりは全くありません。しかし、目の前の苦悶している方々を見ようとしない、迅速に救おうとしない人間を信用することもできません!

今回の震災で、そしてこの2ヶ月に失われたもの…、何万もの人命、莫大な財産、穏やかな生活、美しい風景…、いろいろありますが、政治や政治家全般に対する信頼感は全く地に墜ちた、消滅したといっても良いでしょう。
少なくとも、被災地で体を張って働き、苦しんでいる大勢の方々(自衛隊、警察、消防、地方公務員等の方々)に比べて、彼等は一体何をしてきたのでしょうか?己のなすべきことは何だと考えてきたのでしょう?まさか、「統一地方選の方が、被災者救援より優先順位が高かった」とでも言うんじゃないでしょうね?2ヶ月間も時間があったのですよ!!

愚痴はこれくらいにしましょう…。無能で無責任な者達に、できぬことを期待しても、またガッカリするだけですから…。

先日も記しましたが、今は、着実に生活を「復旧」していく大切な段階です。これには、一刻の猶予もありません。
季節は、否応なしに厳しい夏から厳しい冬に向かいます。東北の季節感・リズム感は、温暖な地域とは異なります。暖かい季節になったからノンビリやればいいよ…、というわけにはいかないのです!!

そのために、私たち庶民にできることは何か?近い内に新たなご提案をしたいと考えております!!

なんだか、大上段に振りかぶった話で申し訳ありませんでした!でも、まずこれをぶちまけておかないと、落ち着いて次の話に移れない心境だったものですから、お許し下さい!!以前にも記しましたが、私がここでいう「政治・政治家」とは、決して特定の政党・個人を指しているのではなく、全てを包括して述べています。

次は、もっとリアルな話をしましょう。

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