私たちは、なんのために白瀬探検隊のことを学ぶのでしょうか?また、白瀬探検隊から、なにを引き継いでいけば良いのでしょうか?
実は、ほかの演者の方々のお話は全く伺えませんでしたから、1つ1つ具体例をあげられませんが、その答えは国際講演の様々なお話の中にちりばめられていたのだと思います。
ここでは、韓国の研究者、第1回でもご紹介した金博士のお言葉を例に挙げたいと思います。それは、「先取の気性」と「知的好奇心」です!!金先生は、今から100年前の日本は、確かに日露戦争に勝利し国際社会の仲間入りを果たしたものの、まだまだ帝国列強とは名ばかりで、下手をすると経済的な大不況で国家が傾きかねない状況だったことを指摘され、また、開南丸が寄港したニュージーランドやオーストラリアで隊員や船員が受けた、差別的な待遇の具体例を当時の新聞記事から拾い上げて説明されました。
例えば、白瀬以下の隊員や船員は、度々「ゴリラのごとき生き物」と表現され、不当に蔑まれました。また、海軍力を増強し、東南アジアや太平洋への勢力拡大を模索して日本との対立を深めていたアメリカやイギリス、オランダの政府・軍・財界は、白瀬隊の活動を「スパイ行為」だと疑っていました。
現代の日本の若者には、おそらく理解できないでしょうが、今から52年前、留学のため渡米した両親に連れられてボストンで過ごした私も、子供ながら、かなり酷い待遇を受け、場合によっては命をも狙われた経験があります。もちろん、私たち日本人の立場に理解を示し、親しくして下さった方々も大勢いらっしゃいます。しかし、当時はまだ、日本人の海外渡航が自由にできない時代でもあり、アメリカにも人種差別的な風潮が色濃くあった時代でもありました。だから、日本国内で「安保反対」を訴えるデモ隊がアメリカ副大統領に迫ったというニュースが流されると、私たちのボストンの家には、毎日毎晩、石や動物の死体が投げ込まれたり、私の通園途中に罵声を浴びたり尾行を受けたり暴力的な脅しを受けることも日常茶飯事でした。
おそらく、白瀬隊の一行は、さらに屈辱的で威圧的な待遇を受けたに違いありません。しかし、結局彼らは、現地の欧米人コミュニティーに受け入れられ、最後には高い尊敬を受けるまでになったのです。それはなぜでしょうか?
ここにこそ、「不屈の敢闘精神に支えられた先取の気性」と「未知の世界に対する真摯な知的探究の姿勢」が、逆境を切り開き活路を見いだす原動力だという「実例」があるのです。ニュージーランドやオーストラリアで白瀬探検隊を迎えた帝国主義華やかなりし時代の欧米人たちは、当然のように「東洋のサル(私も半世紀前のボストンで何回もそう呼ばれました)」たちを蔑視したでしょう。しかし、彼等の不明や偏見を啓蒙し、心の扉を開かせたのは、日本人隊員の立派な態度でした。彼らは、決して卑屈にならず媚びることも拒否して、淡々と自らの目的を果たす生活を続けたのです。
自分自身の中にある、そして誰に対してでもなく自分自身に約束した「崇高な目的」を真摯に果たすこと、その一点に全てを捧げたのです!!そういう行為を軽蔑し故意に妨害することは、いつの時代でもどのような立場や文化の違いがあろうと、決して讃えられる行為ではありません。中には、それでも理解を示さない人々の群れはあるでしょう。でも、それはそれで良いのです。彼ら白瀬隊の使命は、1つの価値観や思想の前に万人をひれ伏させることではないからです。
このような精神、行動で一生を貫けたら、そりゃあカッコイイでしょうね(^○^)!!
私たちが歴史を学び、白瀬探検隊のことを調べ語り合うのは、そこに時代の嵐や様々な偏見や妨害・障害に耐え、それらを克服して「知的好奇心」のために命を燃やした「カッコイイ生き方」があるからではないでしょうか?知的好奇心と探究心は、人類普遍の原動力だと思います。経済的、物質的、社会的逆境に立たされても、いや、そういう場合にこそ、この心のエネルギーの炎を、私たちはもっと大切にすべきなのではないでしょうか?