いやあ、皆さん突然のことで戸惑われたと思います。なんの話かというと、先日の「トピックス=チリ一行無事帰国」というニュースです。
そもそも「来日した」ことすら知らされていなかったのに、いきなり「無事帰国」とは何事か!?という方が大勢いらしたのではないでしょうか?そうなんです。あの「チリ大地震」さえなかったら、もっと後にゆっくりご紹介したかった話題なのです。
さて、チリとの関係については、私自身もう17年以上の関わりがあり、とても「簡単」にはその全容をお話できないほど「長い長い物語」になります。1993年に開始した「チリ・ペンギンツアー」、1996年の「フンボルトペンギン保護国際会議」(横浜で開催したフンボルトペンギン保全に関する世界初の国際会議)、1998年チリで行われた「フンボルトペンギン生息地環境評価会議」、2000年マゼラン海峡調査等々…。
実は、今回、チリ国立メトロポリタン公園付属メトロポリタン動物園の園長マウリシオ・アンドレス・ファブリ・オッテさん、同環境・保全課長ギジェルモ・アントニオ・クビージョ・トレスさんのお二人を日本に招待したのは、下関市なのです。一部新聞報道ですでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、3月1日、下関市立下関水族館(海響館)に新しいペンギン展示施設=「ペンギン村」がオープンしました。私は、この施設の基本計画策定以降、下関市から委嘱され足かけ5年、「ペンギン村」設立に関わってきました。大変でしたが楽しい仕事でした。
その過程で、「野生のフンボルトペンギンの保全と研究に貢献する」という新施設のコンセプトの1つを具体化するため、現地で同じ思いを抱いているメトロポリタン動物園と下関水族館との協定を構想し、その実現のため、両施設の関係者間の調整を致しました。その結果、3月1日には、下関市から「感謝状」をいただきました。
さて、チリ一行の話です。したがって、チリ政府と下関市とは「ペンギン村オープン」の式典に合わせて、下関で「協定の調印式」をしよう、ということになりました。下関市から招待された2人は、2月22日に来日し、最初は都内に宿泊して、関東周辺のペンギン展示施設を見学したり、専門学校で講演したりといった日程をこなしました。
この間はペンギン会議がエスコートし、25・26日には長崎ペンギン水族館を訪問・見学して、27日に下関に入ったのです。私も彼等に随行しました。
そして、運命の28日(日)=チリ現地は27日(土)朝、あの大地震がチリを襲ったのです。
第一報は、ペンギン会議会員でもある、某新聞記者の方からのメールでした。ちょうど水族館内を見学していた一行でしたが、すぐに見学を中断して水族館からチリの動物園やご家族に電話を試みました。動物園は大丈夫、マウリシオ園長のご家族も大丈夫!しかし、電話は途中で全く通じなくなってしまいました。ギジェルモさんの不安と苦悩が始まりました。
しかし、チリ一行は、その後も動揺を見せず、実に立派に式典や公式スケジュールをこなしていきました。ギジェルモさんのご家族の安否が確認できたのは、3月1日午後のことです。我々は思わず抱き合って喜び合いました。
しかし、次々に入る現地からの悲惨な映像とニュースは、新たな懸念を生むことになりました。「無事にチリに戻れるのか?」サンチアゴ国際空港が閉鎖されたというニュースは、最悪の知らせでした。
「行けるところまで行こう!!」という決断です。乗り継ぎのアメリカで可能な便を捕まえよう!そういうチャレンジでした。
そして、その積極姿勢が報われたのです。「チリに無事帰国」の知らせに、日本の関係者は、皆、心の底から安堵したのです。それが、あの「トピックス」の背景です。
ご理解いただきけましたでしょうか?
下関水族館の「ペンギン村」については、いずれまた、ゆっくり語りましょう。今回は、オープン前日の「ちょっと暗いバナー」と看板の写真だけで我慢して下さいm(__)m!!
しかし、チリ支援の活動はこれからです。皆様のご理解とご協力を、何卒よろしくお願い申し上げます_(._.)_!!
向かって右端が上田。その左が下関水族館館長の石橋さん、その下がギジェルモさん、1人おいてマウリシオ園長です!あとの方々は、下関市の方々です。皆さん、大変なご心労がありました。実は、背景に関門橋が写ってるはずなんですが…(~_~;)
この翌朝、チリの2人は元気に帰国の「厳しい旅」に出たのです。
感謝状、おめでとうございます。僭越ながら私もペンギン会議のメンバーとしてうれしいです。私が2002年に訪チリした際にサンチアゴのメトロポリタン動物園で、ペンギン会議として初めてギジェルモ氏と会ったことを思いだします。その後、交流を続けて翌2003年には園長のマウリシオ氏にも会い、フンボルトペンギン飼育技術協力活動の交流を続けてきました。そしてその後、チリ・メトロポリタン動物園と下関・海響館の両者を引き合わせる最初のきっかけを作ったことを本当にうれしく思います。これからもチリと日本の多くの園館がつながれるようにペンギン会議のメンバーとして、頑張っていきたいと思います。今後とも、よろしくお願い申し上げます。