「展示」と「演示」の相違については、すでにふれてきた。この2つと「飼育」との間にも、きちんと意識して区別すべき違いがある。だから、少し細かい話をしなければならない。
まず、「飼育」と「展示」は、本来全く別の問題だ。「展示」は、「見せるために置く」ということだから、生き物だけを対象にした行為ではない。例えば、普通の美術館であれば、絵画や彫刻といった無生物が「展示」の主体となる。動物園や水族館でも、標本や模型や写真を展示する場合は、このパターンだ。
「飼育」は、本来、純粋に「生き物を飼うこと」だから、人に見せるかどうかは問題にはならない。だから、園館の中には、純粋に繁殖を目的として造られ運営されている施設もあるから、これは「飼育・繁殖施設」ではあっても「展示施設」ではない。従って、こういう施設では「演示」も関係ない。
つまり、「飼育施設」は、該当する生き物の生態や健康や繁殖のことだけを考えて造ればよい。「人間がどう感じるか?人間からみてどのように見えるか?」ではなく、「動物がどうなるか?」だけに重きを置いて考えればよいのだ。この点だけでいえば、「飼育施設」の典型的な例は「養鶏場や牧場」だといえる。
そして、さらに重要なことは、人間は「ただなんとなく生き物を飼うのではない」ということ。つまり「飼育」には必ず何らかの目的があるのだ。「養鶏場や牧場」ならば、それは「より経済的価値の高い=高く売れるニワトリや卵、牛肉や牛乳を生産すること」にあるだろう。
では、動物園や水族館で生き物を「飼育」する目的は何か?これは、千差万別と言わざるを得ないほど、多様な目的が考えられる。園館史に関する文献や園館論をひもとけば、古代から現代まで、時代、地域、民族、立地条件、設置者等の諸条件の組み合わせで、数えきれないほどのバリエーションがある。また、1つの施設が複数の目的をもっていることが普通でもある。
古典的なアンチ園館論の論拠の1つ、「見世物小屋」というのも、その一例だろう。確かに、かつて園館には、そういう社会的効用が課せられていた時代があった。また、現在でも、安直で単純な営利目的だけの施設は、残念ながら少数存在する。しかし、その数は、園館のおかれた社会環境に大きく左右される。利用者が何を求めているかによって、園館サイドの狙いも変化するからだ。先進国と途上国とでは、明らかに途上国に「見世物小屋的施設」が多い。それは、生き物に対する価値観や、正確な知識や情報の普及率に違いがあることに主な原因があるのだと思う。
逆に、先進国では、複合的な目的を掲げた園館が多い。以前に述べた、「都市型」、「郊外型」、「リゾート型」、「海浜型」、「山岳型」といった園館の立地類型は、各々の施設が掲げる自らの設立趣旨と利用者のニーズ、地域のインフラ整備状況、経済活動、政府・自治体の基本姿勢等のファクターの複雑な関数に置き換えることも可能だ。
しかし、さらに今、これらと併存しながら、最も重視されつつあるファクターがある。それは、「なぜ生き物(特に野生動物)を飼うのか?」という問いに対する現代的回答である。また同時に、園館が環境問題や野生動物の研究や保全に、どれだけ実質的で効果的な貢献ができるか?そういう課題に対する「行動を伴った責任ある回答」でもある。
以前記した「演示」は、観客に「見せて語り、印象付ける」ことまではできる。しかし、それだけでは、所詮「演出=真似事=ポーズ」に過ぎない。真の意味で「園館は自然・野生への窓」を自称したいならば、見せかけの「研究・保全」ではなく、園館の存在や活動が実質的かつ効果的な結果を生み出している事実を積み上げなければなるまい。しかし、それは容易なことではない。
「演示」に重心を置きすぎたあまり、「展示」し「飼育」している実際の生き物が健康を害し、基本的生態が変形して、繁殖もままならない。そういう深刻で矛盾した事態に陥ることも、決して珍しくない。それは、「展示」・「演示」・「飼育」のバランスがどこか崩れているサインだと考えるべきだ。
そういう訳で、「飼育」の工夫には終わりやゴールはない。季節変化、入手可能な餌の種類、飼育個体の成長や老化、疾病対策等々、日々移り変わり動いていく諸条件を常に的確に観察・把握して、適時に対処していかなければならないのだ。
では、ロンドン動物園のペンギンビーチには、どんな工夫があるのだろう?
まず注目したいのは、この水の透明度。夏の日差しが、美しい青さをひきたてている。
実は、「動物園の水管理」には、昔からかなり問題があった。要するに、不潔でなく衛生上問題さえなければ「透明度」など意に介さない。そういう姿勢がありありと見られた。ペンギンプールだけでなく、様々な「池」や「プール」は、一様にアオコが繁茂し、濃い緑色をしているのが珍しくなかったのだ。
そればかりか、「水族館のような透明度の高い水は、自然にはほとんどない!」と主張して、そういった実情を正当化する論調すら、一部には見られた。開き直りである。
確かに、海であれ湖であれ、一部の清流を除き、海水や淡水の透明度は、水族館の水槽で見るようなものではない。ペンギンの泳ぐ海中は、そんなに遠くまでクリアに見透すことができないのだ。つまり、水族館の水の高い透明度は、水中の生き物を観察しやすくするための「演示」なのだ。
また、動物園のペンギンプールは、一様に、底が暗い色に塗られていた。だから、水中をいくペンギンの姿を明瞭に観察しにくかった。このような状況は、現在少しずつ改善されている。旭山動物園がその典型的な事例だが、「水族館の技法」を動物園に導入して,「演示」や「飼育」を改良する動きが加速している。
ロンドン動物園のペンギンプールの素晴らしい透明度は、強力な濾過装置の採用とフル稼働の成果だといえる。スタッフによれば、プールの水量は約1000トン、最大水深は3メートルだが、ウッドデッキとウッドスタンド側に向かってだんだん深くなっている、とのこと。
造波装置はないが、4ヶ所の送水口から勢いよく大量の水を給水できるので、その水の勢いでプール内に水流が生じるらしい。
ちなみに、プールの水は1週間に一度全て落とし(完全落水)、全体の清掃をするそうだ。また、1日に約10パーセントの水を交換しているので、それらも透明度アップに効果があるのだろう。
さらに、透明度とは関係ないが、プールには塩を入れて、海水に近い塩分濃度にしている。塩の投入は、だいたい午前11:00頃にするらしい。給水口近くの浅瀬に塩を袋から出し、給水しながらデッキブラシで溶かしていく。これらの作業は、全て観客の見ている前で行われる。「水を塩水にするのは、冬期の凍結防止も考えてのことさ!」という。確かに、この日は、8月中旬の真夏だか、最高気温は21℃、最低気温は14℃だった。冬はさぞかし冷えるだろう。
次は、ペンギンの足元に注目。ビーチというくらいだから、当然、砂や土が入れられている。しかし、小石や玉砂利が敷かれている範囲も広い。石は「洗い出し」ではなく、ただ敷いてあるだけだ。イワトビは、小石の上がお気に入りらしい。
巣は、観客から一番遠い場所に集中している。柳や楓等が強い日差しと照り返しから、巣穴の入り口を守ってくれる。ペンギンヒルズでは「U字溝のコンクリートブロック」を逆さにして土中に埋めたが、ここでは蛇腹の黒い強化プラスティック管=直径50センチメートルくらい、を土中に埋めている。
巣場所には、植栽が豊かにあり、観客の視線から巣穴を守り、同時に巣材を提供している。さらに、巣場所から数メートル離れた水際の擬岩には、ミストノズルが多数仕込んであって、巣場所周辺の気温を下げる。
これらの「飼育」上の工夫が効果的か否かは、今後数年間で試されることになる。ここにくらす65羽のペンギンたちが健康にすごし、繁殖が安定するか否か?それは、「飼育されるペンギンたちの福祉に貢献」するだけでなく、それを観察する見学者や教育・普及活動の効果にも大きな影響を与えるのだ。
次回は、これ以外の「飼育の工夫」を見ていこう。