最近、震度3以上の地震が続いておりますが、皆様ご無事でしょうか?今朝の地震発生直後に、私の携帯にいただいたメールをご紹介致します。(以下、いただいたメールの引用です)
「上田先生、今の地震は震度5茨城県沖で津波の心配はないそうです。
最近またドキッとする地震が多くなりました。災害グッズの点検をしようと思います。
先生、避難するような地震があったら、こちらにきてくださいね。」
今朝の地震の時、私は通勤途中で、地下鉄日比谷線の車内におりました。ちょうど霞ヶ関駅に停車した時で、車内放送があり、地震発生を知りました。
最近、関東〜東北にかけては震度3前後の地震が頻発しており、東日本に住む人間は、いわば「心の準備が常にできている状態」でしたから、乗客は全員全く平静で、取り乱す人は皆無でした。車内放送も的確で、数分後には「警報が解除され、安全が確認された」ということで、地下鉄は動きだしました。
その直後にいただいたのが、上記のメールです。
メールの送信者は宮城県にお住まいの古くからの友人=Kさんです。
Kさんは、阪神淡路大震災を職場であった神戸の病院で体験され、被災されました。その後、宮城県にお住まいになりましたが、昨年の東日本大震災で、再び被災され、ご家族と共に、厳しく辛い1年を過ごされました。このご経験を思うだけで、私は胸がつまります。しかし、持ち前の明るさと優しさとで、ほかの被災された方々のために、必死で働いていらっしゃいます。もちろん、今も宮城県にお住まいです。
そのKさんが、朝の忙しい時間帯に、私の身を気遣ってメールを下さった!!この文面を読んだ時、恥ずかしい話ですが、私は地下鉄の中で泣いてしまいました。中年いやすでに初老のおじさんが、けっこう混んでいる地下鉄の車内で、携帯の画面を見ながら泣いてるなんて…、実にみっともない光景です。でも、しばらく涙は止まりませんでした。
昨年の東日本大震災は、私たちに大きな教訓と心構えを遺してくれました。
第1に、「震度3〜4の地震多発は大地震の前触れである可能性があること」。去年の3月までは、「小さな地震が続けばエネルギーが放出されて大地震はこない」と、単純に考えていました。もちろん、そんな根拠はどこにもありません。しかし、慣れというのは恐ろしいもので、生まれてからこのかた、大地震を実際に経験せず、「避難訓練」だけ繰り返してきましたから、大地震に対する現実感や切迫感が希薄だったのでしょう。油断でした。
第2に、「大地震は、近いうちに、また必ずくる。」それが、軽薄な週刊誌や俗悪なバラエティー番組が煽るようなものなのかどうかは別として、少なくとも東日本に住む人間には、体感的にその危機感が理解できるようになりました。別にソワソワしたりパニックになったりしているわけではありません。むやみに怖がっているわけでもありません。「くるな!!」という構えがあるのです。
そして…、これは良いのか悪いのかよくわかりませんが、警察や消防、自衛隊や海上保安庁、地方自治体の救助・救援活動がどのように行われるのか、被災したらどんなことが起きるか、どれくらい待たされるのか…、などなどが、比較的リアルに予想できるようになったということもあります。
少なくとも、国や国政レベルの政治家からは、1年間はろくな支援を受けられない、ということは、悲しいかな骨身に滲みて実証済みです。
だから…、我々庶民は、自ら連絡しあい、互いに身を守る工夫をするしかないのです。
このブログでは、何回も記したことですが、市民の自助努力は当然です。私たちは、最低限、自分の責任で、自分の命や家族や財産や生活を守る義務があります。責任があります。しかし、今回のような「巨大な災害(天災・人災)」が実際に起こり、しかも頻発する事態になれば、市民を大きな力で支援し保護していく仕組みがいち早く機能し効果をあげなければ、市民の自助努力にも限界があるのです。
この理不尽な状態がどれだけ続くのか?いつになったら、「災害多発時代」に適応した「最低限の安心」が保障されるのか?
私たち庶民は、互いに助け合いつつ、大きな変化を見守る必要があると、痛感致しました。
Kさん、本当にありがとうございました!!お気持ちに、温かく迅速なお言葉とご支援に、心から感謝申し上げます!!