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『「宗谷」の昭和史・南極観測船になった海軍特務艦』(大野芳著、新潮社発行、2012年1月1日)にはペンギンはほとんど出てきませんが…(^○^)!!

2012 年 1 月 18 日 水曜日

とっくに読んでます!という方もきっとたくさんいらっしゃるでしょうね。この作品は、もともと2009年に新潮社からハードカバーで出たものを文庫化したものです(^o^)/原題は『特務艦「宗谷」の昭和史』。

『「宗谷」の昭和史・南極観測船になった海軍特務艦』(大野芳著、新潮社発行、2012年1月1日) 『「宗谷」の昭和史・南極観測船になった海軍特務艦』(大野芳著、新潮社発行、2012年1月1日)

これは、南極観測船として有名な「宗谷」に光をあて、その数奇な変遷をリポートした作品です。宗谷は、もともとは、ソ連が長崎の川南工業松尾造船所に発注した「耐氷船」で、「ボロチャエベツ号」という船名でした。紆余曲折を経て、この船は貨物船「地領丸」となり(昭和13年)、やがて海軍に船籍を移されると特務艦「宗谷」と名前を変えます。太平洋の激戦地を転戦し、様々な傷を負いながらも、宗谷は戦争を生き抜き、戦後は引き揚げ船、灯台補給船として働き続けました。

そして、昭和31(1956)年、第一次南極観測隊の観測船となり、様々なドラマの舞台となり主役となりました。さらに、その後は「巡視船宗谷」として活躍を続けたのです。

南極観測船時代、大活躍した搭載ヘリコプターが「ペンギン号」と呼ばれたことと、最初に氷の上でペンギンに出会ったカラフト犬たちが、意外にもペンギンを襲わなかったということしか、「ペンギンとの関わり」は登場しません。しかし、日本人と南極、日本人とペンギンといったテーマを考える時、「宗谷」の存在は避けて通れません。

また、戦後の日本人を勇気づけた南極観測という事業が、どのような人間関係の中で、どのような社会環境で実現し繰り広げられたのか?そういう疑問に、大きなヒントを与えてくれる作品でもあります。

機械技術的なことや、第二次世界大戦史の細かな記述が続く部分があり、ちょっと堅苦しく感じる方もあるかもしれません。しかし、こういう角度から日本の現代史を眺めなおしてみるのも、新鮮かもしれません。

コメント / トラックバック 4 件

  1. 宗谷といえば数奇な運命を辿った船です。
    戦争中は魚雷が命中したが不発で助かるなど、
    強運の持ち主でもあります。

    この宗谷で南極に渡った動物といえば、
    「タロ」「ジロ」に代表されるカラフト犬ですが、
    実は他にも、
    南極で越冬した動物がいます。
    二羽のカナリアと一匹の猫です。

    その猫は「たけし」といい、
    10万分の1という確立でしか生まれない「オスの三毛猫」でした。
    恐らく南極観測史上初の南極で越冬したネコでしょう。
    あの第一次越冬隊撤収の時も、
    「たけし」は無事帰国しています。

    古来船乗りは「オスの三毛猫」を遭難除けの縁起としてきました。
    強運の船「宗谷」と「たけし」の最強タッグが、
    戦後初の南極観測を成功させたのかもしれませんね。

  2. 上田一生 より:

    >人鳥堂本舗ぺん蔵 様
    いつも貴重な情報をありがとうございます(^○^)!!
    「船の科学館」に係留(陳列)されている宗谷には、実はまだ一度も行ったことがないのですが、きっと様々な展示があって楽しく勉強になるんでしょうね?
    カナリヤと三毛猫のお話もこの作品には登場しますが、ぺん蔵さんのような深い解説はありません。あの有名なエンデュアランス号にも猫が乗ってましたね(^○^)!!
    ぺん蔵さんご指摘のように、第一次越冬隊帰国と共に無事帰国した「たけし」のことがドラマ化されたり映画化されたりしてもいいような気がします(^○^)!!きっと「ネコ派」の方々を惹き付けるでしょうね!(^o^)/

  3. 大野芳 より:

    2012/03/27 22:50

    宗谷の昭和史を読んでくださってありがとうございました。著者として光栄です。猫とカナリアについては書いたはずですが、猫の名前については書きませんでした。少しは触れる必要があったのかもしれません。なにしろ幸運と魔除けの象徴なのですから。私の実家でも、三毛猫しか飼いませんでした。祖母が縁起をかつぐひとでしてね。犬は「マル」でした。
    わたしは、宗谷のひたむきな姿に惚れました。本著には為書きをしました。川南豊作とスメタニューク、矢田喜美雄の各氏です。それぞれの立場で懸命だったこのひとたちこそ、宗谷を宗谷たらしめた、と思っております。それに引き替え学者や官僚の醜さには、少々辟易しました。 蛇足ながら重ねて御礼申し上げます。  大野芳 拝。

  4. 上田一生 より:

    >>大野 芳 様
    コメントを拝見し、驚き、かつ大変恐縮しております!!
    このような小さなブログに、また、不十分なご紹介しかできていない不出来な「ブックレビュー」に、ご丁寧に目を通していただき、心から御礼申し上げます。

    私は、かつて「海軍史研究会」というグループに属していたこともあり、軍艦に限らず、様々な「歴史の舞台」となり主人公ともなった船舶に関する書籍にふれて参りました。
    その船に直接関わられた方々が記された「思い出の記」的な本が多い中、『「宗谷」の昭和史』は、この船が辿らざるを得なかった昭和という時代の荒海を、リアリティーをもって描き出して下さったという点に、私は最も感謝しております。

    白瀬時代の「開南丸」もそうですが、あの時代になぜあんな船で南極にいかなければならなかったのか?南緯40度以南の地獄のような航海を経験すると、「開南丸」や「宗谷」であの海域を本当に往復したということの偉大さ(ある意味で無謀さ)を、身にしみて実感します。

    また、コメントに寄せていただいた「為書き」というお言葉に、改めて襟をたださねば、とも感じております。
    拝読していく中で、ご著書の随所に「情熱と権威」、「ひたむきな心と閉ざされた心」との衝突、せめぎあいが描かれていることに、何回も心痛む思いを味わいました。

    私は「ペンギン会議研究員」ではありますが、どの権威にも属さない1人の「ペンギン好き」で、一高校教師に過ぎません。
    実は、これまでにも、様々な世界の権威の方々との「格闘」を経験して参りました。
    青臭い表現ですが、排除の論理の冷たさに涙をのんだことは、それこそ数えきれません。

    最近は「1人のカリスマよりも複数のスペシャリスト」という表現をするようになりました。
    大きな船が1人の人間では動かせないように、何人もの専門家が各々の力を結集してある目標を目指す。あたりまえのようですが、現実の社会では、この簡単な理屈がなかなか通らないのですね。

    「宗谷」の生涯を描くことで、この船に関わり、実際に様々な業績を支えた個性豊かな情熱の人々を力強くご紹介下さ
    った。
    彼等は決して「敗残者」ではなく、単なる縁の下の力持ちでもない。まちがいなく主人公の1人だったのだ。そういう確信を持つに至りました。
    今後とも、ご教示のほど、深く深くお願い申し上げます。

    改めまして、今回の温かいコメントに、心より御礼申し上げます。

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