私は、昔から、こういう本が大好きでした。純粋かつ詳細・緻密にデータを開陳・分析して、最終的にはなんらかの法則性を導き出す、というのが「科学的手法」だということは承知しています。しかし、そういう「正しい手続き」に則って書かれた科学書は、残念ながら、だいたいが面白くありません。
生物学の二大分野でも、マクロ・バイオロジーの分野の本は、特に、仮説〜論証〜定式化という過程や手法よりも、「記述」の良し悪しがそれを読んでいて楽しいか否かを左右する決定的なファクターだと、常々考えています。
例えば、あのコンラート・ローレンツの一連の著作が、なぜあんなにも人々の心をうち、世界的に支持され、愛されたのか?その後に現れた、アンチ・ローレンツ派による科学的反論やネガティブキャンペーンによって、「初めてノーベル賞を受賞した生物学者」としてのローレンツの偶像はひどく傷つけられたのは事実です。しかし、私自身もそうですが、たとえローレンツにナチスとの細やかな関連を疑わせる小さな小さな過去があったとしても、彼の遺した生きものへの情熱やその「記述」は、今日でも多くの人々の心を震わせ、生きものを愛する人々に慕われ、支持されているのは、紛れもない事実です。だから、現在では、あれだけ華々しくアンチ・ローレンツの論陣を張っていた学者や作家たちの名前を記憶する人々はほとんど皆無なのに、その罵倒の嵐に耐え抜いたローレンツの名前は、かえって一層輝きと重みとを加えて、私たちの記憶に忘れがたく刻まれているのです。
ローレンツ以外にも、「記述」の力で、生物学の面白さを多くの読者に伝えた書き手がいます。この『フクロウ』の著者、デズモンド・モリスもその一人でしょう。『裸のサル』はあまりにも有名ですが、それ以外にも『マン・ウォッチング』、『ウーマン・ウォッチング』(小学舘)や『キャット・ウォッチング』(平凡社)等が邦訳されて話題になりました。
今年、2月5日(日)になって、やっと朝日新聞の書評欄で横尾忠則氏の評が登場しましたが、そこでもモリスを「英国の動物行動学者」としか紹介してありませんでした。今年84歳になるモリス博士は、オックスフォード大学大学院で動物行動学を学んだ後、1956年にロンドン動物園のテレビ・映画制作部門長に就任し、59年からはロンドン動物園の哺乳類学研究部長を8年間務めました。数々のテレビ番組や動物ドキュメンタリー映画の制作に携わったのです。
私には、動物学者というよりも、この「制作者」あるいは動物園関係者としての顔の方が、モリス博士の本領だったのではないか?とすら思えるのです。モリス博士の業績についても、ローレンツ博士の場合同様、真っ当な生物学者ではないとか、様々な小さな間違いをあげつらってネガティブキャンペーンを続ける輩がいます。
しかし、大きな目で見たとき、彼が世界の生きものや自然を愛する人々に伝えたメッセージは、決して大きく事実を逸脱し歪めたり、偏見を助長するようなものではなかったと思います。確かに修辞的な誇張はありましたが、それは読者側が楽しめる程度のもので、敢えて目くじらたてて騒ぐようなものではありません。
モリス博士の著作に共通して流れる「書き手としての姿勢」の特長は、常に網羅的かつ「わかりやすい」著述を徹底する、という点にあると思います。「サービス精神」と簡単に言ってしまうと、ちょっと乱暴ですが、「わからんやつは読むな」という傲慢な雰囲気は微塵もありません。
やはり博物学の古き良き伝統が、1つのスタイル、あるいは科学的読物の文化として、みごとに継承されているんだな、と感心するのです。日本人には、残念ながら、このような良い意味での網羅性やサービス精神を兼備した学者物書きは、ほんとうに少ないのが実情です。
モリス博士の制作姿勢、動物園人としての活動姿勢、そして『フクロウ』に集約されたようなサービス精神とユーモア、ヒューマニズム…、そういう全てから、今後も学び続けていきたいと思います。
このシリーズのペンギンは、どこか出版する予定はないんでしょうか。
>>ペンギンヒルズ 様
大変大変大変大変ご無沙汰しておりますm(__)mm(__)mm(__)m!!
このシリーズの存在と、『フクロウ』の直後に出た『ペンギン』の存在は、ペンギンヒルズ様に教えていただいたものです_(._.)_!!これまで、ご紹介せずに申し訳ございませんでした_(._.)_!!
別項=2月20日のブログで取り上げましたので、ご覧いたただければ幸いです(^○^)!!
http://www.penguin-ueda.net/weblog/bookreview/7621