今回は、「お花見の話題」から、思わぬ大展開となりました。
実は、「ペンギン踊り」につきましては、かなりのこだわりをもって参りました。
皆様ご存じの通り、拙著『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』において、私は「白瀬隊のペンギン踊り」が「日本のペンギン史における謎の1つ」だと記しました。
いろいろな文献や新聞記事に登場するこの「ペンギン踊り」ですが、その実態は全く不明なのです。
今回、『ペンギン鳥の夢』という並木路子さんの唄と共に、春日八郎さんの『ペンギン踊り』の存在がわかったことは、時代が少し前後するとはいえ、共通の発想が大正〜昭和初期と昭和20〜30年代にあったことがうかがえます。両者に果たして何らかの意味のある繋がりがあったのかなかったのか?
その実態を、詳しく調べ解明していく過程で、そのヒントが得られるのではないか?それが、私の「儚い望み」です。
まず、今回は、ふでぺんさんからのメールと『ペンギン踊り』SP盤の現物映像をご紹介致します。
この記事や写真から、どのようなことが浮かび上がってくるのでしょうか?
ではまず、ふでぺんさんからのメールを以下に引用致します。
「ペンギン音頭じゃなくてペンギン踊りですね。
『ハア 誰が呼ぶやら みな行きたがる 白い大陸 海の果 そこで小粋な チョイト ペンギン抱いて サーサ踊ろよ チョチョンがチョン ソーレ ヨイヨイ ペンギン踊りで ヨイヨイヨイ』
以上一番で五番までありますが、2〜5番はサラリーマンがお姉ちゃんと仲良くしたりお酒飲んだりというようなことにひっかけた内容となっています。
歌詞カードには踊りも出ていますので、再生できたらペンギン会議で皆さん踊られたらどうでしょう(笑)
なお、歌は春日八郎さんと照菊さんとなっています。」
(引用は以上です)
さて…、皆様の推理は、いかがでしょうか?
(つづく)
古本あさりのついでに聞いてきました。「ペンギン鳥は丘の上」は南極の丘でした。春日八郎はウーンこんなもんだよなです。今回のあたりは戦前の映画のニュースでした。甲子園のケープペンギンの映像が見られました。展示施設の概要はわかりませんが一見の価値ありです。さて私はどこに行ったでしょう。
聴きたい!
しかしこのレーベルのペンギンいいですねえ。
初期のサンスターペンギンの雰囲気に似てます。
B面の「宇宙音頭」ってのもすごいんですが、ようするに南極や宇宙に対するフロンティアスピリットだったんでしょうね。お姉ちゃんとお酒飲むんであっても。
とりあえずレコードプレイヤーで再生して取り込んで、あとは78/45倍に速度変換すればいいんじゃないかしら>現代のSPレコード再生。
発売が31年ならその少し前に上野動物園に皇帝ペンギンがやってきたから
そこから何かペンギンで作ろうとしたのではないでしょうか?
Wikipedia J の「並木路子」の「代表曲」の欄をみると、おもわず「おおぉ」と言います。きっと。
http://j.mp/jq5r8M
>ペンギンヒルズ 様
先日は、夫婦揃ってお昼をご馳走になり、ありがとうございましたm(__)m!!
さすが!博物学者のペンギンヒルズ様!
早速「神保町」で「歌謡・芸能史関連文献」を探索されましたね(^o^)/
戦前の映画ニュースや「甲子園遊園地の大ペンギンプール」の映像も、興味深いですね!
その足で坂を登り、九段下駅の上にある「昭和館」で「ポスター展」をご覧になったのではありませんか?(^o^)v
>こばやしゆたか 様
濃いコメントを、ありがとうございます(^o^)/
1950年代は、冷戦が激化すると共に、「米ソの宇宙開発競争」や「南極の科学調査」が華やかかつ熾烈に展開され、日本も戦後の荒廃の中から、初めて国際的舞台にたち戻ろうとしていた時期です。
そういう背景の前に、この春日八郎さんのレコードを置いて考える必要がありそうですね。
春日八郎さんのことで気になるのは、琴菊さんという「お相手」です(^o^)/
もし、琴菊さんが芸者さんならば、芸者さんと踊りという組み合わせは、「白瀬隊のペンギン踊り」の時と同じパターンなんです。
これが「ただの偶然か否か」によって、今回の話題が「白瀬隊の謎」の1つに迫れるか否かがわかってくる、ということも考えております(^o^)/
また、レーベルのペンギンが「初期のサンスターペンギン」に似ている、というのも気になるポイントですね!!
>ふでぺん 様
貴重なコメントを、ありがとうございます(^o^)/
そうですね!ご指摘の通り、上野動物園へのエンペラー導入とも重なりますね!
古賀忠道園長の記録や、上野動物園での催しについても、確認してみる必要がありそうですね(^o^)/
照菊さんは
http://j.mp/iDzRqZ
によれば、歌手です。
日本歌謡学院の門下生になって23歳の年にデビューしてますから、
(芸者さんが転職したのではなく)純粋に歌手だと思われます。
YouTubeには五木の子守唄などがあがってるようです。
それほど気合は入っておりません。虫の本探してました。
九段下の昭和館は常設展示室以外は無料で利用できます。5階の音響映像室にはSP盤を集めてデジからタル化してあることで知られています。
そこでペンギン踊りがあることを確かめてから聞きに行きました。ペンギンで検索するとSP盤に4曲あり、残りの3曲は童謡でした。映像には、甲子園モノ以外に上野のヒゲペンギンが出てくるのが2本ありました。
昭和館のペンギン踊りのデータには制作年が記載してありませんでしたので、そのころ発行された国際地球観測年のエンペラーの切手が頭に浮かびました。でも昭和31年ということなら宗谷の出発がらみで間違いないでしょう。照菊はその年の紅白に出ているそうですし、たぶん春日八郎も出てるでしょうから、旬のデュオだったのでしょう。作詞は「酒は涙か溜息か」の高橋 掬太郎ですし作曲の細川潤一とはコンビでヒット曲も出しています。また細川は元祖東村山音頭の作曲者です。
稚内には南極音頭というのもあるしB面が宇宙音頭なので、曲を聴くまでは盆踊り用だと思っていましたが、この歌詞じゃ座敷の宴会用ですね。
>ペンギンヒルズ 様
貴重なコメント、詳細な情報などありがとうございましたm(__)m!!
昭和館には、いろいろな音声・映像データが保存されてるんですね!私も今度行ってみます(^o^)/
>こばやしゆたか 様
照菊さんに関する貴重な情報をありがとうございましたm(__)m!!
たしかに、かなり有名な「歌手」だったんですね。
大正末期の生まれだとすると「23歳で歌手デビュー」というのは、かなり「遅咲き」です。なんせ、今と違って、20歳を超えると「年増」と言われた時代だし、そういう「世界」ですから…(~_~;)
「花柳界からの転身」の可能性は否めないと思います。もう少し、追いかけてみたいと考えております(^o^)/